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デザインの伝え方 — 組織の合意を得るコミュニケーション術 Tom Greever著 武舎広幸+武舎るみ訳 坂田一倫監修

まえがき

重要な会議

ある1月の寒い日曜日、私は夜更けに発つサンフランシスコ行きの飛行機に遅れまいと、イリノイ州の我が家をあとにしました。翌日は、朝からクライアントを迎えての会議です。ふつうの会議とはちがいました。巨大ネット通販サイトのCEOを前にして、我々の会社の様々な部署の担当者10人以上が交替でデザインに関するプレゼンテーションを行う、3時間にもおよぶ会議なのです。プレゼンテーションの計画、準備から実施まで、副社長、部長、(チームの一員として、クライアントの代理を務める)プロダクトオーナー、UXデザイナーが、いずれも複数関わっていました。このCEOのお墨付きさえもらえれば翌シーズン全般のプロジェクトの基礎が盤石(ばんじゃく)に――そんな重要な会議でした。

事の始まりは、さらに何週間も前のことでした。私自身も参加していた会議の席上で、さっき言ったプレゼンテーションを次の会議でやるよう命じられたのです。各プロダクトチームの企画立案はすでに2、3週前から進められていたものの、前述のCEOへの報告を忘れていたため、なぜ報告がない、と当のCEOから問いただされ、では急遽プレゼンテーションをという運びになったわけです。私も同席するようチームの面々から強く求められましたが、私にとっては悲惨なスケジュールでした。今はるばる中西部のイリノイから西海岸のサンフランシスコまでやって来て会議に出ているというのに、翌週、それもわずか1日の会議のためにまた出て来なければならないのですから。おまけにその「重要な会議」でプレゼンテーションを行うすべてのプロダクトチームのコンセプトデザインも全部私が担当していたため、準備作業が山積していました。とはいえ、そうした問題はどれも些細(ささい)なこと。明らかに誰もが自分の仕事をとりあえず中断してでもその会議を成功させようと意欲満々でした。

結局、私は数人のプロダクトマネージャーと摺り合わせを重ね、「重要な会議」について検討すべく再度開かれた会議にも出て、ようやく用意すべきコンセプトデザインを漏れなくリストアップできたので、さっそくその制作に着手しました。その一方で「重要な会議」の直前の金曜には4時間にわたる電話会議が開かれ、それにも参加しました。この会議で行われたのは、副社長のひとりを前述のCEOに見立てた予行演習です。予定のメンバー全員がプレゼンテーションをやってみて、副社長が感想や意見を述べ、提案をし、本番で本物のCEOにこちらの意図を伝える最善の策を模索していきました。

この予行演習の目標はただひとつ、「プレゼンテーションでデザインの狙いを正しくCEOに伝え、合意と承認を得ること」。それを実現しようと、さらなる会議を重ね、本番でCEOが投げかけてきそうな問いや意見を予想しては検討し合い、夜遅くまで抜かりなく準備を進め、スケジュール調整も怠りませんでした。私自身はまたしてもイリノイ=サンフランシスコ間を16時間もかけて往復し、ホテルに2泊しなければなりませんし、「重要な会議」だけのために丸々1日、会議室に缶詰めです。ともあれ、幸いなことに結果は上々、問題のCEOは物のわかる人で、大変好意的な反応を示してくれたので、さっそくプレゼンテーションで紹介したデザインに沿ってインタフェースの制作が始められました。

ただし、肝心なのは「会議の成功」ではありません。

たったひとりの人物に、自分たちのデザインの狙いを正しく伝える。それだけのために、あんなに大変な思いと努力をした、という点が、あの体験の中でもとりわけ印象に残ったのです。あの会議のために費やした時間と労力に比べれば、後日、デザイナーたちがモックアップを作成した時間と労力など取るに足りないもののように感じられます。誰から見ても明白でした――あのCEOの承認が得られなければ、我々のプロジェクトが日の目を見ずに終わってしまう、ということが。デザインを理解してもらうためのコミュニケーションのほうが、デザインそのものよりも重要だったのです。

「私のチームはこんなに大きくない」「私の場合、こんな大物CEO相手の会議の成否で大口の取り引きのゆくえが決まってしまうような、そんな大企業には勤めていない」と思う人もいるかもしれません。それでも原理原則は変わりません。つまり、プロジェクトの成否はステークホルダー(プロジェクトの関係者)に対するデザインの説明の出来不出来に大きく左右される、ということです。

この本の狙い

この本の狙いは、コミュニケーション能力の向上を望むデザイナーの後押しをすること。プロジェクトに対して影響力を持つ人々に、そのプロジェクトのデザインにかかわる諸々の決定事項を首尾よく説明する能力を養ってもらうことです。ですから全編を通してそうした説明を行うステークホルダーとの会議(以下、「S会議」と表記します)に焦点を当てて、すべてを書きました――会議の前、最中、さらには終了後も視野に入れて。どのページのどの解説も、S会議に的を絞り、S会議に関連する場面でファシリテーションする能力、コミットする能力、危機を回避する能力を高められるよう計らったつもりです。

S会議は、大勢が関わるケースもゼロではありませんが、大半はごく少人数で行うものです。会議室を使う正式なものがある一方で、「廊下での立ち話」的なものもあります。ですから読者の皆さんには、この本の解説の細部が自分のケースに当てはまるかにはあまりこだわらず、どのような場面にも応用できる包括的な原理原則に注目してほしいのです。目指すべきは、「常に柔軟性を失わず、さまざまな状況にすばやく適応できること」です。

さて、この本でとくに詳しく解説しているのが、何でも書き留める手法や、質問のコツ、聞き上手になるための工夫、複数のデザインを同時進行させるコツです。自分のデザインを人に説明するには何週間もかけて準備をする必要があるのでは、と思う人もいるかもしれません。しかし現実には、わりとあっさり終わってしまうものです。準備のための時間がたっぷりある場合もありますが、その場ですばやく判断し、答えをひねり出さなければならない場合も結構あるのです。だからこそ、前述の「何でも書き留める手法」や「質問のコツ」等々のワザを知り、日頃から練習して習慣化しておくことが大切なのです。意識的な努力をしなくても、ほとんど無意識にできるほど熟達しておきたいわけです。

自分のデザインを人に説明するなんて基本的なスキルじゃないか、と言う人もいるでしょう。しかし実際には大変むずかしい。私自身の経験から言っても、デザイナーが畑違いの人たちとの間で的確な意思疎通を図るのは容易なことではありません。ですからこの本で、ステークホルダーとのコミュニケーションを首尾よく行い、どんなときでも自分を見失わず、最良のUXを実現し、提供する方法を学んでください。

対象読者

この本の主たる対象読者は、デザイン以外の分野のステークホルダーを相手にするデザイナー、たとえばグラフィックデザイナーやウェブデザイナー、UXデザイナー、インタラクションデザイナー、インタフェースデザイナー、ビジュアルデザイナーです。ただしこれは専門書ではありませんし、デザインの過程で発生し得る共通の問題も多々扱っているので、紹介している秘訣やベストプラクティスは、デザイナーでなくとも組織内のさまざまな職種の人の共感を呼ぶと同時に、参考にもなるはずです。

デザイナー
ステークホルダーからデザインの変更を求められて妥協せざるを得なかった経験のあるデザイナーの皆さん、これはまさにあなたのための本です。デザインのプロとしての経験と知識、それに基づいた判断を、デザインの知識などほとんど皆無のステークホルダーに否定されたように感じる――これは多くのデザイナーが経験する場面です。こういう隔たりをつなぐ架け橋となって、皆さんの決断こそが最良の選択肢だと相手に納得させるお手伝いするのが、この本です。
シニアデザイナー
長年デザイナーとしての経験を積んできたのだ、デザインに関わる決定を的確に説明するスキルなど、もう十分身につけた、と思う人もいるでしょうが、この本はそんなシニアデザイナーの皆さんにもきっと役立つはずです。すでに自分のものにした知識や秘訣を再確認できるばかりか、それを補う形で実戦に使える戦略も多数紹介しているのです。ちなみに、あなたはアヒルの絵を描いたことがありますか? あなたならあるでしょう。しかしそれを意識的な目で検討してみたことは、ないのでは?
エンジニア
「デザイナーと協業して仕事をするのは骨が折れる」と感じたり、「このインタフェースをステークホルダーの要求どおりに変更したりすれば、わかりにくくなってしまう」などと思った経験はありませんか? エンジニアがそんな状況を改善するための秘訣やヒントが、この本には満載されています。私自身はふだんエンジニアとじかに話をする機会がありませんが、知り合いのエンジニアを見る限り、この本を有効活用するのに必要なデザインの知識は十分持ち合わせているようです。ですからこの本は、エンジニアの皆さんがデザインをわかりやすく具体的に説明するコツを学ぶのにも役立ってくれるはずです。
役員、部課長、プロダクトオーナー、プロジェクトマネージャー、マーケティング担当者
この本は(とくにウェブ関連の)製品やサービスのデザインの創出に関わる人であれば誰にとっても有用だと思います。デザインについての話し合いに有効な共通の枠組みを紹介しているからです。まさにそうした枠組みが必要な人のために書いたのが、12 章です。UX の設計を担当するチームの努力の成果が気がかりな役員の皆さんも、日々現場でデザイナーと共に仕事をしているプロダクトオーナーの皆さんも、この本を読めば畑違いの人たちとデザインについて話し合う際に役立つ実際的な方法が学べます。

この本の構成

各論に入る前に、まず1 章でウェブやアプリ、UX のデザインが近年どれほど変化したかをざっと振り返ります。とくに、そうした変化によってデザインを的確に語り伝える必要性がいかに増したかを見ていきます。行く末を占うには、来し方を振り返ることが大切です。つづく2章ではさらに一歩踏み込み、有効なコミュニケーションが現在のデザイン決定過程において、どれほど、また、なぜ、必要不可欠なのかを、実例をあげながら説明していきます。近年のデザインは「自明」とはほど遠いですから、明快なコミュニケーションを必要としている場面がいかに多いかを、ぜひとも理解しておくべきなのです。

3章から11章では、ステークホルダーとの会議(S会議)について、前後の期間も含めた一連の過程を順にたどりながら解説しています。各章で、そうした過程のどのあたりに当たるのかを示すため、下の図のような時間軸を添えました。

まずはステークホルダーの視点や心情を理解し寄り添うコツや、ステークホルダーと議論するのに必要な準備作業などを紹介します。会議中に役立つスキルとしては、聞き上手になるための傾聴のコツ(明示的なものと暗示的なもの)や、的を射た応答をするための心構えなどを紹介します。また、最良の応答によってデザインの承認を確実に取りつけるための戦術や実例も提案しています。さらに、会議の終了後も常に最高のUXを維持できるよう、フォローアップや調整作業が必要ですから、それに関する説明も加えました。このように3章から11章では、ステークホルダーにデザインを説明し議論するために知っておくべきことを漏れなく解説したつもりです。

ただしS会議は当然相手があっての場ですから、すべてがきちんと時系列に進んでいくわけではなく、複数の場面で役立つ助言やベストプラクティスもあるものです。たとえば、メモを上手に取るコツについては4章でも10章でも解説していますし、デザイン関連の決定を文書化するアプリケーションについては、デザインのあらゆる段階に関係してきます。締めくくりとしては次のように重要な章を2つ設けました。

12章では、デザイン以外の分野の人がステークホルダーとしてデザインの決定に関与する場合を想定し、そのような場面で有用な助言や情報を提供しています。エンジニア、役員、プロダクトオーナーの皆さんには、デザイナーとうまく協業して成果をあげるコツを知ってもらえると思います。デザイナーの皆さんは、デザイン以外の分野の同僚に、ぜひこの章を活用してもらってください。

13章では、「自分のデザインの質や妥当性をステークホルダーに理解、納得してもらう」という発想から一歩踏み出します。もっと大局的な視点に立ったデザインの表現ができるよう、日常レベルで独創性や創造力を高める行動パターンを確立するための工夫や秘訣を紹介しているのです。つまり、デザインを語り伝えるというのは、単なるS会議よりはるかにスケールの大きな仕事だということです。それを成し遂げるのに必要なのがリーダーの目線――「長期的なビジョンを描き、それを的確に伝えることは、いま企画中の製品やサービスを完成させて世に送り出すことに負けず劣らず重要だ」と見抜くことのできる「指揮官」の目線――なのです。

この本を書いた理由

正直言って、このトピックがこれほど好評を博すとは夢にも思いませんでした。S会議なんて、たとえば講演のテーマとしても、いの一番に頭に浮かんでくる類(たぐい)のものではありません。デザイナーである私が日々こなしている職務の中には、もっと面白くて有用なことがありますから。ただ、私は実際にS会議をテーマに選んで講演をしたことがあります。数年前、セントルイスで開かれたデザインカンファレンスでのことでしたが、事前にテーマの候補をいくつか絞り込むよう言われた時も、S会議がテーマの講演なんてやったところで、当たり前のことばかりで面白くもなんともないだろうと思ったものです。なにしろ私にとっては毎日毎日、ほとんど無意識にこなしている業務でしたから。ところがカンファレンスの終了後、あの講演で学んだことがステークホルダーとの話し合いで大いに立っているという声が届き始め、それがきっかけで、私はこれまでの自分の仕事を振り返り、もしかしたらS会議にまつわる自分の経験が人さまのお役に立つのかも、と意識的に模索し始めました。

その過程で見えてきたのが、デザイナーとしての私の職歴を彩る数々の「すぐれたコミュニケーションがすぐれたデザインを生んだケース」でした。また、私が敬愛するデザイナーに、デザイン上の決断の理由を理路整然と説明できない人がひとりもいない事実にも気づきました。さらに、私自身がチームの面々に行っている助言や批評も、デザイン制作のスキルというよりはむしろデザインの解説のしかたに関するものが多い、という点にも思い至りました。以来私は、他分野の人たちに対するデザインの解説の出来不出来がUXの良し悪しを大きく左右する、ということを痛感するようになったのです。この種のコミュニケーションスキルが欠けているデザイナーは大勢おり、シニアデザイナーもその例外ではありません。我々デザイナーの仕事の成否は、すべての関係者から支持を取りつける能力にかかっていて、そうした支持が得られなければ、せっかく提案したデザインも日の目を見ずに終わってしまうわけです。

ただ、ここではっきりさせておかなければなりません。以上のような私の見解は、「デザイナーの判断が常に正しい。ステークホルダーは、デザイナーが教え諭(さと)してやらなければ判断を誤る」などと上から目線で決めつけるものではありません。デザインを的確に説明するというのは、ステークホルダーがデザイナーの専門知識や経験、思考の過程を理解し、「了承したい」気持ちが自然に湧きあがってくるような状況を作り出すことであり、説得力のある、心に響くやり方で、信頼関係を築き上げ、デザインの有効性を実証することなのです。以上を踏まえて、私がこの本を書いた動機をまとめてみると、こんな具合になります――「デザイナーが、企業が、よりよいUXを生み出すお手伝いをするのが私の務めだが、デザイナーとステークホルダーの間にはコミュニケーション・ギャップという深い谷間が横たわっているので、その架け橋として、日常の業務にすぐにも応用してもらえる現実的、実用的な提言をしたかった。また、デザインがいかにコミュニケーションに影響されるかについて、自分自身の考えも整理、記録しておきたかったし、自分の日々の職務もきちんと明確化しておきたかった」。こんなわけで、この本は私自身がステークホルダーにデザインを説明する際に利用するチェックリストでもあり、それを読者の皆さんと共有できるのはすばらしいことだと思っています。どうぞこの本が皆さんのお役に立てますように。

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