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マーリンアームズ株式会社

DHC翻訳若葉荘「本日の講義」

第16回  翻訳を科学する その6 句読点を科学する その2(2006年3月配信)

その昔、私が中学校に通う道の舗装工事が行われたあと、路上に3.14159 26535 89793 23846 26433 83279...というペンキの落書きが残っていました。ペンキやさんに円周率大好き人間でもいたのでしょうか。現在よりはるかに記憶力のよかった私は、毎夕そこを通るたびにその数字を少しずつ覚えていきました。そしてついに、円周率を全部覚えることに成功したのです! というのは嘘で、上に書いた桁ぐらいを覚えたところで、ペンキが消えてしまいました。ひろし君が仕入れてきたのはガセネタですね。そもそも、円周率に終わりはないナリヨ。(注:前振りの部分で、ひろし君という若葉荘の住人が「円周率全部言えるってうわさだぜ」と言っていることを受けたものです)。

さて、前回の講義でお話ししたPodcast(ポッドキャスト)ですが、私はその後もいろいろと探索を続け、ますますはまっております(初めての方、前回欠席なさった方のためにご紹介しておきましょう。Podcastを聞くためのソフトiTunesは、http://www.apple.com/jp/itunes/download/からダウンロードできます。インストール後、表示される画面で「Music Store」を選択して「ジャンルを選ぶ」から「Podcasts」を選択してください。ほとんど無料です)。

Podcastのランキングを眺めるのもなかなか興味深いものがあります。もともとiTunesは音楽サービスなのですが、最近は英会話や、英語および日本語のニュース関連のPodcastsが人気を集めているようです。ラジオのように放送時間に縛られることなく、自分の好きなときに勉強や情報収集ができるのが人気の秘密でしょうか。わたしも、毎日やっている気功やストレッチの際に「New York Times Front Page」、ジョン・カビラの「J.LEAGUE FROM THE PITCH」、マッキントッシュ関連のニュースが聞ける「Inside Mac」などを流しています。Podcastで毎日英語を聞くようになって、何となくヒアリング能力がアップしてきたような気がしますね。継続は力なりナリヨ。

ちょっと毛色の変わったところでは「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」の人気も高いようです(注:現在は公開されていないようです)。落語は言葉遊びの宝庫ですから、翻訳者を目指すような方々にはご興味をお持ちの向きも多いのでは。私も週1回の配信を楽しみにしております。これまでのところ、一番のおすすめは 三遊亭遊馬の「井戸の茶碗」 です。だいぶ古めのシステムでなければ、ブラウザだけで聴けますのでご興味がおありなら上のリンクをクリックしてみてください(会社でご覧の方は、執務時間中はやめておいた方が無難かもしれません)。テテンットンテン、テテンットンテン……。

〜〜〜〜〜

さて、本題であります。落語が盛んになったのは江戸時代だと思いますが、前回ご紹介したように、江戸時代には日本語には「、」や「。」などの句読点は使われていなかったようです。西洋文化の流入にともなって、徐々に一般に使われるようになったわけです。「句読点はこう使わなければならない。守らなければ罰金!」というような厳密な決まりがあったわけではありません。文部省では「横書きの文書では『,』と『。』を用いる」ことに決めたため教科書はこれに従っているようですが、たとえば、書籍の編集の際には、組織や個人で独自のルールを決めていて、かなりバラツキがあります。

こういった事実を頭に入れておいて、前回の最後にお出しした宿題を検討しましょう。

 ●次の文章を添削せよ。理由も指摘すること。

第1問 「かなり誇大広告であろう。」、そう思っている者も多い。
第2問 佐智子はどこへ行っていたのだろうか?誰にもわからなかった。

まず、第1問ですが、皆さんはどう直されたでしょうか? 次のようになさった方は多いのではないかと思います。

1-B 「かなり誇大広告であろう。」そう思っている者も多い。

「文の最後は『。』で終わる」と小学校で習います。私がまだ小さい頃「ミタス」という化学調味料(だったと思いますが)のCMが一世を風靡したことがありました。最後に流れるのが小学校1年生くらいの女の子の台詞です。「ミタスミタスと言いました。まる」。「まる」というのは「。」のことです。先生に言われたように、文の終わりには必ず「。」を付けなければいけない。この論法でいくと上の1-Bは○ということになりそうです。

けれども、私が今までに接してきた編集者の方々の多くは次のように直します。

1-C 「かなり誇大広告であろう」そう思っている者も多い。

そして、私もこの方がよいと思います。なぜか。「プロの多くがそうしているから」というのも立派な理由ではあります。しかし、それではちょっと弱い。オンライン講座や通学講座の受講生の方々に質問されたときに「みんなそうしてるから、私もそうしています」では説得力がないわけです。

そこで私なりの理由を考えていたのですが、前回ご紹介したような句読点の歴史を論じたページに出会って説得力のある説明を思いつきました。

そうです。昔、点や丸は日本語にはなかったのです。句読点があった方が、文の区切りや読むときの区切りがついて「わかりやすいから日本語にも導入された」。これを考えれば1-Bにある閉じ括弧の前の「。」は不要なのです。ここに「。」はいらない。なぜなら、閉じ括弧があるので、文の切れ目(誰かが言ったことの終わり)であることは明々白々だからです。元々日本語になかった「。」をすでに切れ目がわかっているのに付け加える必要はないわけです。

さて、今度は第2問について考えてみましょう。

第2問 佐智子はどこへ行っていたのだろうか?誰にもわからなかった。

ここでの焦点は「?」です。この「?」も「。」や「、」同様、西洋から輸入されたものです。しかも普通の文章で使われるようになったのは最近のことだと思われます。日本語には「か」という助詞がありますから疑問を表すにはそれを文末につければ十分です。したがって、2-Bのようにすれば正解であります。

2-B 佐智子はどこへ行っていたのだろうか。誰にもわからなかった。

「いや、わたしは『?』を使いたい。もう、完全に日本語になっている」と主張する方には、次のようにすることをおすすめします。

2-C 佐智子はどこへ行っていたのだろうか? 誰にもわからなかった。

「?」のあとに(全角の)空白を入れます。私が接してきた多くの編集者の方々もこうなさいます。私も最初のうちは、単に「直されたので」という理由で「?」の後に空白を入れるようになりました。しかし「Teaching is learning.」人に説明していて理由を思いつきました。3通りの書き方を並べてみましょう。どれが一番読みやすいですか?

2-A 佐智子はどこへ行っていたのだろうか?誰にもわからなかった。
2-B 佐智子はどこへ行っていたのだろうか。誰にもわからなかった。
2-C 佐智子はどこへ行っていたのだろうか? 誰にもわからなかった。

まあ、すでに一度読んでしまった文を再度読んでもそれほどの違いはないでしょうが、私は2-Aは少し見にくい(醜い)と思うのです。句点の役目は文と文を区切ることでしたよね。「?」も句点の一種(仲間)ですから、「疑問」を表現するほかに「文を区切る」という役目をもっています。だから、分かれていた方がよいと思うのです。ところが「?」は次の文字とくっついてしまっています。英語だと、単語の間や punctuation の後には必ずスペースが来ます。しかし、通常の日本語は分かち書きされません。でも、このケースは例外なのです。

「?」では視覚的な切れ目にならないのです。「。」や「、」を見てください。空白の部分が多くて、しかも黒い部分は左の方(縦書きなら上の方)に位置しています。したがって、前(上)の文にくっついていて、ここが切れ目だということがはっきりわかります。ですから、「?」を使いたいのならば、その後にスペースをあけたいのです。

ここで厄介なことに、日本語でコンピュータを使うときには、いわゆる「半角」のスペースと「全角」のスペースの2つの選択肢があります。受講生の中には、半角と全角を混在させる方もいらっしゃいますが、これはまずい。少なくともどちらかに統一してくださいね。形式の不統一は、読者にとって雑音になります。

私はといいますと、とくに指定されなければ、半角ではなく全角のスペースを使います。なぜか?

それをハンゼンとさせるのは次回ということにいたしましょう。え〜、お後がよろしいようで……テテンットンテン、テテンットンテン。


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