DHC翻訳若葉荘「本日の講義」
第6回 翻訳者のための検索エンジン活用法
今回から「翻訳者のパソコン活用法」的なお話をしていこうと思います。インターネットの話題が中心になると思いますが、これから翻訳の勉強を始めようかなと考えている皆さんや、いま一所懸命勉強中という皆さんのお役に立ちそうな道具や技などをご紹介していきましょう。今回は、実務翻訳家を目指す方はもちろん、出版翻訳家を目指す方も是非知っておきたい検索エンジンのお話です。
なお、以前のアンケートで「翻訳ソフトの話題を続けてくれ」とのご希望をいただいた皆さんのために、「機械翻訳 しっかり入門」のページに翻訳ソフトに関する話題を追加しておきましたので、ご興味のある方はご覧ください。今回は翻訳者にとって大切な、翻訳ソフトの「辞書登録機能」について書いてみました。
さて、検索エンジンの話です。前回の話題である、最初の訳書の編集者Mさんとの偶然の出会いは20年ほど前でしたが、今回の話はその前年秋のある晩から始まります。その晩私は、村井純という人と一夜をともにしていました。一夜をともにしたといっても、2泊3日の大学院生向けのセミナーに参加して、偶然一緒の部屋に割り当てられただけの話です(風吹ジュンさんは女性ですが、村井純さんは男です)。1日目のディスカッションを終えて部屋に戻った我々は、ベッドに横になりながら、何か話したのですが、何を話したかは忘れてしまいました。
翌日のセミナーで発表をした村井さん、コンピュータをたくさん、たくさんつないで何かやろうという「ネットワーク」の話をしていました。これまた詳しい話はすっかり忘れました。当時の日本の大学では、24時間空調機の音が鳴り響く「コンピュータルーム」に大きなコンピュータがどか〜んと1台置かれていて、それを何十人、ときには何百人かの学生や教師が「端末」をつなげて利用していました。このどか〜んと置かれていたコンピュータ、当時は何億円もしたのですが、皆さんが「○○○○カメラ」や「カメラの××」などにいくと、5万円も出せば買えてしまう今のパソコンよりも性能が低いものです(そう、コンピュータ業界はデフレの最先端を走っているのです。この世界では「1年で半値」は当たり前、翻訳ソフトなんて10年ほど前に150万円で販売していたのに、今ではより高性能のものが1,500円ぐらいで買えてしまいます)。
さて、私が二夜をともにした村井さん、ご存知の方も多いかと思いますが、「日本のインターネットの開拓者」です。先見の明を持っていた村井さんは、20年以上前にネットワークに注目し、「これからはネットワークだ。世界中のコンピュータがつながれる時代が来るはずだ」と見通して(いたのかどうかは知りませんが)インターネットの研究にその半生を捧げてきたのでした。それに引きかえこの私、あっちに手を出しこっちに手を出し。最近では気功だってよ。信じられないよ……(「それがオレの持ち味だ! 何が悪い!」 ←もう1人の私の声)
翻訳者(の卵)の皆さんは、村井さんをはじめとするインターネットの研究者に、足を向けては寝られません。インターネットは翻訳者にとって情報の宝庫なのです。「ホームページはそんなに見ないから、『ダイアルアップ接続』でまだいいわ(や)」と思っているあなた! 翻訳者になるつもりなら、すぐにADSLなどの常時接続環境に変えましょう。接続料金なんてあっという間に元が取れてしまうはずです。
インターネットが普及する前、翻訳者の書棚には、さまざまな辞書、事典、参考書が並んでいました(今でも並んでいる方も多いでしょうが……)。私たちが翻訳をはじめた1987年当時は、翻訳関連の雑誌には「原稿料が入ったら辞書に投資すべし」という先輩翻訳家のお言葉が決まって載っていたものでした。「いつになったら儲かるのだろう」と思いつつ、その言葉に従って、我々は『ランダムハウス大辞典』『リーダーズ大辞典』『リーダーズプラス』などの英和辞典にはじまって、『Oxford English Dictionary(OED)』のCD-ROM版、『世界人名発音辞典』、『コンピュータ用語辞典』、はたまた『ボディビル辞典』に『英米法律情報辞典』などなどを買い求めていったのでした。しかし、今やこうした参考書を引くことは滅多にありません。必要な情報はほとんど、インターネットで手に入るのです。しかも、そのほとんどは無料です(頻繁に使う辞書だけは、CD-ROM版を買って自分のパソコンに入れておくことをおすすめしますが)。
ではどんな風にインターネットを使えるか、例をご紹介しましょう。今、家内はある小説の翻訳をしているのですが、その中に次のような文が出てきていました。著者が米国のあるレストランで友人と楽しいひとときを過ごしています。すると……
In the midst of it who should walk in but that extraordinary Senegalese, Battling Siki, who was also a client of the establishment.
(中略)
He sang and danced, all by himself, applauding himself, slapping his thighs, patting us on the shoulder — playful little pats that jolted our vertebrae and made our heads spin. Then, for no reason at all, he suddenly scooted off, knocking over a few cases of beer in his boyish enthusiasm. With his departure every one breathed more easily.
(Henry Miller著 "The Rosy Crucifixion Book Two: Plexus"の第2章より引用)
ややこしい表現もありますので、ご参考までに(中略)の後の部分については、家内の訳をあげておきます。
彼(Battling Siki)はひとりで歌い踊り、自分で自分をほめそやし、腿をぱたぱた叩き、ぼくたちの肩を叩いた。ふざけてちょっと叩いているだけなのだが、こっちは背骨ががくんと揺すぶられて目まいがする。やがて彼は急にわけもなく駆け出し、はしゃぎ回る子供のようにビールの箱を二、三個倒していなくなった。彼が出ていってしまうと、みんなほっと息をついた。
これ以前にBattling Sikiに関する説明はありません。いったい何者なのか。なんで、ちょっと叩かれるだけで「背骨ががくんと揺すぶられる」のかさっぱり分かりません。「ビールの箱を二、三個倒していく」とはいったいどんな男なのでしょうか。こういったことが分からなければ最初の文をどう訳していいものかピンと来ませんし、全体の雰囲気も決まりません。
困ったときのグーグル頼み。検索エンジンのGoogleのお世話になります。「Battling Siki」と入力欄に入れて、「検索」をクリックします。一番上にリストされているhttp://www.cyberboxingzone.com/boxing/siki-b.htmを見れば一目瞭然ですね。
なお、入力欄に「Battling Siki」と入れましたが、これですとBattlingとSikiが別れて出てくるページも候補に入ってしまいます。この例のような場合は、「"Battling Siki"」と引用符をつけて入れると、連続して出てくる場合だけを拾ってくれます。
さて、まだ問題は残っています。Sikiはどう発音すればよいのでしょうか? 「サイキ」「シキー」「シキ」などが考えられます。これまたGoogle大明神にお伺いを立ててみましょう。「バトリング・サイキ」だと何も出てきませんし、「バトリング・シキー」だと関係のなさそうな記事がひとつだけ出てきます。そして「バトリング・シキ」には、2番目にどうやらボクシング関係者が書いたらしいページが見つかります。「なになに、シキはパリでライオンを連れ歩いていたのか」などと感心しながら、ページ作者の品定めをします(このときに、興味を引かれてシキについていろいろ調べてしまって、余計な時間を使ってしまうことも多くて困ってしまうのですが)。この情報なら大丈夫そうだということで、訳語には「バトリング・シキ」を採用したのでした。
1冊本を訳すと、こんな具合に調査が必要なところが何箇所も、いや何十箇所も出てきますから、インターネット以前の翻訳者ならば、かなりの時間をこの手の調査に費やす必要があったのです。このケースなら『世界人名辞典』を探しに図書館に行かねばならなかったところでしょうか。でも、載っているかどうか怪しいですね。
じつは、この本の訳書は何十年か前に既に一度出版されているのです(ヘンリー・ミラー著 大久保康夫訳『ヘンリー・ミラー全集 バラ色の十字架 第二部 プレクサス』 新潮社)。そのときは調査がつかなかったらしくて、最初の文は次のように訳されています。
そうしたさなかに思いがけない人物が入ってきた。やはりこの店の常連のひとりで、セネガル人のバトリング・サイキという変り者である。
原著が書かれた当時の人にはバトリング・シキがどんな人かを説明する必要はなかったのでしょうが、21世紀の日本の読者にとっては、シキに関する説明なしでは、後の方がチンプンカンプンになってしまいます。上の訳では「いったいこいつは何者だ」という疑問は消えないまま残ってしまうでしょう。そこで「新訳」では、バトリング・シキがボクサーであることを補って訳すことにしたのでした。
Googleを使って検索することを「グーグる」とか、「ぐぐる」とか、動詞にしてしまっている人もいるようですが、最後に訳語の検索に用いると便利な方法をひとつご紹介して、今回はお別れすることにいたしましょう。特に専門用語の訳語が分からないときに便利な方法です。Googleのページを開いてからお読みください。
訳語が分からないときは、Googleの入力欄にその英単語を入れ、「日本語のページを検索」のボタンを選択してから「Google検索」のボタンを押します。通常は「ウェブ全体から検索」の方が選択されているので、このまま検索すると英語のページが(通常たくさん)ヒットしてしまいます。これでは訳語は分かりません。「日本語のページを検索」とすることで、その英単語が使われている日本語の文書がリストされることになります。特に最新の技術用語などの場合、訳語の付近にオリジナルの単語を書いておくことが多いので、よさそうな訳語が見つかるというわけです。なお、上で書いたように、ここでも複数の単語からなる用語の訳を探す場合は全体を「"」で囲んで入れてください。
ひとつ例をあげましょう。ネットワーク関連の翻訳でtunnelingという単語が出てきたとしましょう。英語に近い発音なら「タネリング」だけれど、「トンネル」からの類推で「トンネリング」が定着しているかもしれないし、はたまた別の訳語が使われているかよく分かりません。そこで、Googleで「日本語のページ」だけを検索します。すると、どうやら「トンネリング」が定着しているらしいので、この訳を採用すればよさそうだと分かるというわけです。
ちなみに、この方法を用いると用語解説のサイトであるe-WordsやITmedia IT用語辞典(後者はその後サービス終了)などのサイトの解説がよく出てきます。自分の分野の翻訳に役立ちそうなページ(サイト)が見つかったら、それを「お気に入り」に入れておいて利用するとよいでしょう。
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