DHC翻訳若葉荘「本日の講義」
第11回 ピンぼけの写真(2005年8月配信)
ピンぼけの写真
久しぶりに書籍の翻訳をしています。ここのところしばらくプログラム開発に重きを置いていたので,長くても20ページほどの単発の翻訳の仕事しかしてこなかったのですが,ソフト開発の方はちょっと一段落ということになったところへ,本の翻訳のお話が来ました。私としてはしばらくぶりの出版翻訳への復帰です。
前回のメルマガが配信された頃,私はある展示会に出展していました。私の会社で開発中の翻訳ソフトやDHC-オンライン講座の宣伝などをしていたのですが,そこにいらした方から後日,翻訳の依頼が舞い込んだというわけです。その展示会では,もうひとつうれしいことがありました。なんと,このメルマガの読者の方が私たちのブースを尋ねてくださったのです。同僚によると「大変楽しく話ができた」そうで,席を外していてお目にかかれなかった私は誠に「残念!」です。(最近「残念!」の人をとんと見かけなくなりましたね〜。芸人さんも大変です)
さて,予定では「翻訳を科学する その2」を書こうと思っていたのですが,DHC-オンライン講座や5月から6月にかけて開かれた通学講座で受講生の皆さんの訳文を添削したり,本の翻訳に取り組んだりしているうちに,書いてみたいことができたので,ちょっと横道にそれることにしました。次回は本道に戻るつもりですので,お許しを。
久しぶりの出版翻訳はなかなか新鮮です(そのうち,また苦しくなってくるかもしれませんが)。ソフト開発にいそしんでいた間,エッセイや解説記事など短めの文章を何本か書きました。このメルマガでもそうですが,自分の文章を書くときは題材から自分で見つけなくてはなりません。しかし,翻訳ではこの過程は必要はありません。題材は原著者が与えてくれます。ですから,題材で苦しむことはありません。
題材を考えなくてもいいというのは,ある意味,楽ではあります。トピックを何にするか,どういう順序で話を進めるか,編集者の方をこの長さで納得させられるか等々,いろいろなことを考えなくてはなりません(今も,いろいろ試行錯誤をしながらこの原稿を書いているわけです)。翻訳ではこういったことはすべて原文任せで大丈夫なわけです。
英日翻訳は「英語を日本語に直す作業」というのが世間一般の理解だと思いますが,実感としてはこの表現からだいぶズレがあります。「英語で描写された世界を,日本語で描き直す作業」と定義したい所です。英語が読めなければ,そもそも英語でどう描写されているかがわかりませんから,それを日本語にするなんていうことは,夢のまた夢。したがって,原文で書かれた内容を理解する英語力は大前提です。受講生の皆さんの添削課題を拝見すると,まだこの段階でつまずいていらっしゃる方も多いのですが,しっかり勉強しさえすれば,多くの方がこの段階はクリアできるでしょう。一歩一歩着実に進んでください。
そこから先,英語で描写された世界を日本語で描き直すのはなかなか一筋縄ではいかないのです。考えてみれば,それはそうですよね。世の小説家やエッセイストなどは,自分の心や頭に浮かんだ情景やアイディアなどを,言葉にして自分の外に出すのに四苦八苦しています。原文を読んで頭の中に情景を描き出せたとしても,それを自分で言葉にするには小説家やエッセイストと同じような苦労が待っています。ひょっとするともっと面倒な作業なのかも。原文から離れてはいけないという制約がつきますから。自分の文章を書くのなら,思い浮かんだままに筆を動かしてまったく別の情景を描いてしまうこともあるでしょうが,翻訳ではそれは許されません。原文が絶対です。
「世界を描き直す」ということを考えていたときに,ある比喩が浮かびました。添削をする際に直したくなる訳文は「ピンぼけの写真」に似ているのではないかと。一流の翻訳とイマイチの翻訳を写真にたとえれば,ピントぴったりの写真と,ピンぼけの写真の差と言えるのではないかと。ピンぼけの写真は美しい景色を台無しにしてしまいます。ダメな翻訳は原文を台無しにしてしまうのです。
「原文にある単語をひとつひとつ訳していけば原文の世界が再現できるのでは?」と思われる方も多いでしょう。確かにそのとおりなのですが,単語ひとつひとつにはいろいろな意味があります。同じ意味でもいろいろな訳語があります。訳語というと辞書に載っている訳語しか使ってはいけないと思っている方があるようですが,そんなことはありません(もしそうだとしたら,すべての辞書が同じ訳語を載せていなければなりません)。辞書に載っていないものもたくさんあるのです。
たとえば,Americaという(とても簡単そうに見える)単語について考えてみましょう。「(南・北)アメリカ大陸」という意味もありますが,周囲の状況からその意味でないことが明らかだとすると,「アメリカ」「合衆国」「米国」「アメリカ合衆国」などの訳語が考えられます。「亜米利加」というのが適当な場合も,ことによったらあるかもしれません。試しに,手元の辞書を見てみると,「合衆国」「米国」「亜米利加」などの訳語は載っていませんね。このあたりは常識の範囲ということなのでしょう。
じつはこの単語,オンライン講座の添削課題に登場するのですが,9割近くの受講生の訳を毎回直しているのです。いくつかある候補の中からどれを選ぶかを検討せずに,ただただいつも同じ訳を選ぶとピンぼけの写真ができあがります。文章全体の雰囲気からみてどの訳語が適当か検討しなければなりません。ちょっと硬い文章なのか,それともラフな感じの文章なのか。新聞記事なのか,報告書なのか,小説なのかによっても変わるでしょう。周囲に同じ単語がたくさん出ているのならば,できるだけ短い表現の方がよいかもしれません。たとえば,いつも「アメリカ合衆国」「アメリカ合衆国」「アメリカ合衆国」と繰り返していては,うるさいでしょう。
数多くの受講生の添削をやっているうちに,面白いことに気がつきました。優秀な方の訳文は似てくるのです。我々が作った「訳例」にどれもとても似てくるのです。解答に使われている文字と我々の訳例に使われている文字とを機械的に比較させれば採点ができてしまうのではないかと思うほどです。構文も似てくるのですが,訳語の選択も非常に似通ってきます。たとえば,Americaの訳語がこちらの思うものになっていれば,その後はだいたい安心して読める訳文になっています。いろいろな単語のピントが合っていて,とても読みやすい訳文になっているのです。
慣れないうちはそういった方々もちょっとピンぼけの訳語を使っていらっしゃるのですが,ピント合わせの訓練を何千回,何万回と繰り返している間に,どんなシーンでも瞬時にピントが合わせられるようになるのでしょう。辞書を引くのは翻訳の基本中の基本です(これを怠っていらっしゃる方も,まだまだいらっしゃいますが)。しかし,単に,辞書に載っている訳語を書き並べただけでは,その文章の中でその単語の持つ意味を的確に日本語に移(写)せないことも事実です。周囲の単語と結びついたときにその単語がどのような意味を与えているのか,どのような状況を描写しているのか,的確に判断しなければなりません。
この観点から見ると私が開発している翻訳ソフトが出す訳文はピンぼけの嵐です。周囲を見回すことはチョッピリできるようにはなったものの,まだまだ人間には,はるかに及びません。ほとんどいつも同じ訳語を選択して返してきます。これでも,人間が最初にピントが合った訳語を選んでやると,それ以降はその訳語が使われますから,結構ピントが合ってきます。でも,オートフォーカス機能搭載の翻訳ソフトを作るのはなかなか難しそうです。
さてさて,上に書いたことを,画像処理ソフトと格闘しながら写真を使って表現してみました。お時間とご興味のある方は↓をクリックしてみてください。
http://www.musha.com/dhc/mailmagazine/200508focus.html
それでは,次回は「翻訳を科学する その2 関連語変換」の予定です。夏バテせずにがんばりましょう。
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