マーリンアームズ株式会社

DHC翻訳若葉荘「本日の講義」

第19回  翻訳を科学する その9 重複を科学する その1(2006年8月18日配信)

2週間ほど前の土曜日、いつものようにサッカーを終えて帰宅すると(息子の通う小学校でサッカーコーチのボランティアをしています)、宅配の荷物が2つも私の机の上に積まれていました。送り先をみるとどちらも出版社。新刊書が偶然2つ同時に私の手元に届いたのです。タイトルは『Google Maps Hacks』と『Building Secure Software』(以下GMHとBSSと省略します)。サブタイトルは日本語で付いていますが、いずれも英語のタイトルそのまんまです。GMHはシリーズものなので私も納得ですが、BSSは内容を考えると……。私の経験では、タイトルについて翻訳者は希望を伝えることができる場合が多いですが、それが通ることは余りありません。大御所になれば別かもしれませんが。

どちらもコンピュータソフトウェアの専門家向けの本なので、ここでは詳しいご紹介はしませんが、GMHの方は例を見るだけでも面白いでしょうから、よろしかったら私が公開しているGMHのサポートページをご覧ください。最初にある「訳者のおすすめ」のページの下の方の例をお試しになると面白いかもしれません。BSSについてはアマゾンのページなどでどうぞ。

ところで、なぜ一度に2冊も新刊が届いたのでしょうか? 実のところ、BSSの翻訳を終えたのは今年の初め。監訳者の方がいらしたので、半年近く経ってからようやく出版されたのです。ついでに、翻訳料はといいますと、BSSの方はいわゆる「買い取り」で、翻訳を終えた時点でいただいていますので、これからいくら売れても私には一銭も入ってきません。GMHの方は印税なので、これからの売れ行きが家計に大きく影響します。ご購入の際はGMHの方をお願いいたします(笑)。どちらの方が原稿料が大きいかというと、今のところ断然BSSの方なのです。印税方式は脱税容疑を掛けられている誰かさんのように(私の大学の先輩なのですが…)一発当てれば大きいけれど、確実に稼げるのは買い取り方式というわけです。「どちらにしますか」と、こちらに下駄を預けられるケースがまれにあるのですが、そういう場合は悩みますね。

さて、新刊の到着が重複したお話で始まった今日のテーマは「重複」であります。しばらく前に、新聞やテレビで「後で後悔する」とか「一番最後」といった表現に違和感を抱かない人が増えているとの調査が報道されていました。「違和感を抱かない人が増えている」ということは裏を返せば「違和感を抱く人はまだかなりいる」ということです。「後悔は後でするに決まっている」ものですし、一番後ろでない限り「最後」とは言わないわけで、「同じこと言われなくてもわかるワイ。しつこいのは嫌いジャ〜」という方も結構いらっしゃるわけです。重複は「しつこさ」につながるのでしょう。これを嫌だと思う人、少なくとも好ましいと感じない人は多いようです。

違和感を抱く人が多い表現を翻訳原稿で使うのは御法度です。たとえ自分はおかしいと思わなくても、他の人が読んでおかしいと思うかもしれないのならば、その表現は使えません。したがって、読者に違和感や嫌悪感を抱かせる「重複表現」は排除しなければなりません。単に「後悔する」とか「最後」とか書いておけば読者は不快を感じずにすむわけですから、訳文としてどちらを選ぶべきかは明白でしょう。

久しぶりですが、練習問題をいくつかお出ししましょう。以下の文はいずれも上で紹介した『Building Secure Software』を訳している際に、共訳者や私自身の文章を重複が気になって修正した例です。どこをどのように修正したか、考えてみていただけますか?

  1. 人々が絶対に正しいと考えているデータは数多くあります。たとえば株価が代表的な例です。
  2. この種のシステムは商用のセキュリティ関連製品としては比較的新しいもので、パッケージ化された製品ではまだ誤報が非常に多く、有用なものは多くはありません。
  3. そのような事態になってから、あわててパッチを出すのですが、最初からセキュリティを考慮して設計する方が望ましい考えであるということには考えが及びません。
    (*ここでいう「パッチ」とは修正用のプログラムのことです)
  4. 本格的なテストをユーザーに任せてしまうという状況さえ珍しくありません(時にはバグを発見したユーザーに金銭的な報酬を与える場合さえあります)。

4問とも解答・解説を書くと長くなってしまいますので、今日は第1問に限って考えてみましょう。ちょっと読んだだけでは何が不自然なのか、何が重複しているのかおわかりにならない方もいらっしゃるでしょう。ヒント、ということで次のように書き換えてみます。

 人々が絶対に正しいと考えているデータは数多くあります。例えば株価が代表的な例です。

こうすると「例」という漢字が2つになりますので、気になる人がもう少し増えるでしょう。「たとえば」と言っているのだから、例であることは分かり切っていますから、少しうるさいという感じがしてきませんか? 少なくとも私は気になったので次のように直しました。

 人々が絶対に正しいと考えているデータは数多くあります。代表的な例としては株価があります。

と、こう直して読み直して(!)みると「あります」「あります」と同じ文末が続いていて、これまた気になります。とくに、音読をしてみるとよくわかります。「韻を踏む」とまた別の効果がありますが、文末に同じ表現が繰り返されると耳障りですし、単調な感じになるのですね。そこで、さらに次のように直します。これだと、他のところが気になる方はいらっしゃるかもしれませんが、重複していて変だという感じはなくなるでしょう。

 人々が絶対に正しいと考えているデータは数多くあります。代表的な例として株価があげられます。

残りの3問については宿題ということにして、今度は英日翻訳の原文側についても少し考えてみましょう。DHC-オンライン講座の『英日翻訳基礎演習コース』では、いわゆる「英文和訳」と「翻訳」の違いを理解していただいて、翻訳者としての基礎を固めていただくことを大きな目標としていますが、「重複」の問題は両者の違いを表す典型的な例のひとつではないかと私は考えています。

次の文はSFGate.comというサイトに掲載されたニュースの一部です。全部訳してみる時間がない方も第2段落の冒頭の文の冒頭(!)をどう訳せばよいか考えてみてください。バリバリの翻訳者の方ならば私の意図はすぐにおわかりだと思いますが、初心者の方々にはなかなか難しいようです。

Google Inc. told analysts more than it wanted last week.

The Internet search giant said Tuesday that it inadvertently disclosed its closely guarded financial projections and also said it let slip information about a personal, digital storage service that is in the works.

「(その)インターネット検索の巨大企業は…」となさった方は、英文和訳ならば○ですが、翻訳としては×です。なぜか? なぜ重複の問題としてこれが出ているのか? それを考えることも宿題といたしましょう。

最後に皆さんにお知らせです。DHC-オンライン講座に新しく2つのコースがオープンします。ひとつは、『英日翻訳 虎の穴』コース。『基礎演習コース』を修了なさった皆さんを対象とした添削中心のコースです。2つめは『翻訳ダンベル』。こちらは、初心者方向けにダンベル体操のように翻訳のための基礎体力を養成しようというコースです。 DHC-オンライン講座のページで詳細をご覧ください。

それでは、蒸し暑さに負けずにがんばりましょう。


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