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マーリンアームズ株式会社

DHC翻訳若葉荘「本日の講義」

第25回 翻訳を科学する その14 オタク度とフォーマル度 (2007年6月配信)

翻訳を科学する その14 オタク度とフォーマル度

この間テレビで秋葉原の特集をやっていました。私が大学入学時に東京に出てきた頃は電気屋さんが立ち並ぶ街でした。上京して初めての冬に叔母と一緒に電気ごたつを買いに行ったり、新婚生活を送った米国からの帰国後、日本での生活のために電化製品を買ったことを懐かしく思い出します。その後、郊外や駅前の大型家電店の発展とともに、秋葉原の家電専門店の数は徐々に減り、それに反比例するようにパソコンショップが増殖しました。私も時々足を運んで、自分や友人などのためにパソコンのほか、プリンタやデジタルカメラなどの周辺機器を買ったりしていました。ところが、最近では、以前ほどパソコンを買い換える必要もなくなり、また主要駅前の○○カメラ、さらにはインターネット通販などでも買えるようになり、秋葉原には、ほとんど足が向かなくなってしまいました。

秋葉原は、外国人の方々に人気がありましたが、現在もその人気は衰えていないようです。「電気街」としての顔よりも「オタクの聖地」としての顔が全世界に知れ渡りつつあるのだそうで、テレビでは、ブラジルだの、インドネシアだの、いろいろな国から来た人々が連れ添ってメイド喫茶に入ってうれしそうな顔をしておりました。「英国の家に住み、米国人並みの収入があり、中国人の作る食事を食べて、日本人の妻をもつ」のが男の理想とかいう話を聞いたことがありますが、「お帰りなさいませ、ご主人様」と膝をつかれて言われるのも悪くないのかもしれません。もっとも、メイド喫茶のほかにも、フィギュアやアニメ関連のショップが軒を並べているそうで、関連の商品を求めて成田空港からアキバに直行する人もいるのだとか。

オタクという言葉をウェブで検索してみると、ウィキペディアに非常に詳しく載っていました(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8F)。私なんぞが「オタク」という言葉から真っ先に連想するのは「パソコンオタク」で、パソコンばっかりやっていて普通の人(とくに女性)と、まともに話ができない男性を思い浮かべてしまいます。自分のことは棚に上げておくとして、好きなことに夢中になると、話し相手がどう感じているかなどということには、まったく関心を払わずに、自説を延々と展開する人はどこの世界にもいるようです。

そこで、今回のタイトルの「オタク度」です。オタク同士の会話ならばかまいませんが、一般人と話をするときには、相手がどう考えているかいつも注意を払う必要があります。同じように、翻訳をするときには読者がどう感じるかを常に意識して訳していく必要があります。この「オタク度」という言葉、私が他の方の翻訳を拝見してコメントを書くときに「この単語はちょっと『オタク度』が高すぎると思います」といった具合に使います。たとえば、一般向けのソフトウェアの解説の翻訳で次のような訳文が書かれていたとしましょう。

 搭載メモリが125メガバイト未満のマシンでは、このソフトウェアを走らせることはできません。

かつて、「マシン」という言葉はコンピュータ関連のマニュアルに頻繁に登場しましたが、最近はさすがにあまり見なくなりました。「コンピュータ」とか「パソコン」という一般人が使う言葉があるいにも関わらず「マシン」という語を使うことで、この文のオタク度は急上昇。ソフトウェアを「走らせる」というのも何とも言い難いオタク的雰囲気を醸し出してくれます。

runの訳語として最近では「実行する」という訳語が普通に使われており、私もこの訳を普通に使っています。しかし、考えてみれば「実行」というのも変と言えば変で、パソコン以外で「実行」はあまり使いません。もともとは、かなり文語的というか、お役所的な響きをもった言葉です。しかし、世の多くの人が使ったために、少なくともコンピュータ関連分野においてはこの単語は一般語になってしまったと言えるでしょう。

オタク度の他に私が「フォーマル度」と呼んでいる尺度があります。この単語はこの種の文章にはラフすぎるとか、ていねいすぎるというものです。以下の訳文は、海に関する図鑑を訳したときに、お手伝いいただいたDHC-オンライン講座の卒業生から送られてきて、いずれも私が修正したものです。皆さんは直したくなる箇所はありますか?

(1) この魚はちっぽけな毒牙(長さ1mm未満)しか持たない。
(2) 川を泳ぎ、にょろにょろと這い上がり、淡水域へ入る。
(3) 親類と同様、からだは円筒形で尾は平たく、大きな腹板がある。
(4) たいていの真正細菌は有機物を分解してエネルギーを得る。
(5) 紅藻と褐藻は厳しい環境でやっていかなくてはならない。
(6) 褐虫藻は、ポリプの栄養上のニーズの大半を満たしている。

(1)は「ちっぽけな」がどうも気にくわない。もちろん会話とか、家族友人などで手紙をやりとりする場合などはかまわないのですが、この言葉が数百ページもある図鑑に登場するとなると話は別です。口語的な感じというか、ラフな感じというか、感情的な傾向が強すぎるのです。「雰囲気ぶちこわし」なのです。

「私は気にならない」という方も当然いらっしゃるでしょう。しかし、本になって書店に並ぶということは、何千人、何万人の人の目に触れるわけです。その中に何十人か何百人か何千人か「気にくわない」と思う人がいるかもしれません。たとえば、「ちょっぽけな」のかわりに「小さな」とすると気になる人の数はだいぶ減るでしょう。たった一語が気になっただけで、本を買うのをやめてしまう人は少ないかもしれませんが、この種の表現が目に付くようならば、恐らくその本は買ってもらえないことになります。

問題は、訳した人が気になるかならないかではなく、読者が気になるかどうかなのです。大多数の読者が気にならない言葉を使って訳していかなければなりません。違和感のある単語や表現が使われていると、読者はそこで引っかかってしまい、書かれている内容に集中できなくなります。内容に集中できなければ、興味がわくはずもないのです。

(2)から(4)については「にょろにょろ」「親類」「たいていの」が気になります。たとえば、(3)の「親類」は、やはり口語的な感じが強く「親戚」の方がその点からは無難ではないか、そもそも動物に対して「親類」とか「親戚」と書くのは適当なのかと気になります。「近縁種」などとすればいかにも図鑑っぽい言葉になって、周囲となじみます。一般読者には少し見慣れない言葉かもしれませんが、それぞれの漢字をみれば全体の意味は確実に伝わりますから、問題はないでしょう。

(5)では「やっていく」という表現が気になります。ややラフな感じでこの種の文章には似つかわしくありませんし、「紅藻と褐藻」を擬人化して、「やっていく」と表現しているのも気に掛かります。「〜を生き抜いていかなければならない」「〜でも耐えていかなければならない」などとしても、擬人化していることに変わりはありませんが、この程度ならば許容範囲のように思えます。

図鑑など科学的な分野の書物に対して、擬人化した表現、口語的な表現は雰囲気が合いません。例外はありますが、客観的な表現、学術的な表現、どちらかといえばフォーマルな表現が求められます。

(6)も(5)と同類です。「ニーズを満たす」という表現と、褐虫藻やポリプの世界とはマッチしません。「ニーズを満たす」のは人間のすることでしょう。

翻訳の際には、「オタク度」や「フォーマル度」など、訳語が自分の中に抱えているものを、周囲の文とマッチさせながら訳出していく必要があります。では「オタク度」や「フォーマル度」がマッチしない単語を使わないようにするにはどうしたらよいのでしょうか? 残念なことに、辞書にはこのような情報はほとんど書いてないのです。たとえば、「やっていく」をある国語辞典で引いてみると次のような説明があります。

[1] 生活する。暮らす。 (例)これでなんとかやっていくしかない
[2] 仕事や交際などを続ける。 (例)同僚とうまくやっていく

何かを「やっていく」のは「人間」で、人間以外の動植物については普通は用いないといった情報は書かれていないのです。もっとも、たとえ書いてあったとしても、すべての単語を辞書で引いて、確認している時間はありません。

というわけで、「オタク度やフォーマル度がマッチしないから使えない」といったことを調べる手段はあまりなく、自分でその感覚を身に付けていくしかないのでしょう。どうしたら、その感覚が身に付くのでしょうか。

その第一歩は、単語や表現にはオタク度やフォーマル度のような特徴が存在することを意識することです。意識しないことには気がつきません。その意味では、ここまで読み進んだあなたは既に第一歩を踏み出したことになります。

次にすべきは、よい文章をたくさん読むことでしょう。基準から外れていない文章をたくさん読むことで、逆に基準を外れている文章が気に掛かるようになります。有名な文学作品、新聞やある程度の歴史を持った雑誌などの記事は、この点で問題があることはほとんどありません(逆に、インターネットには悪文が溢れています)。

そして、恐らく一番効率的なのは、自分の文章をほかの人に読んでもらって気になる点を指摘してもらうことでしょう。配偶者でも、兄弟でも、親でも子でも、勉強仲間でもかまいません。ただ、その効果を考えれば、文章のプロに読んでもらうのが一番でしょう。その点からみて、文章講座や翻訳講座を受講して、自分の答案を真っ赤に添削してもらうと効果的でしょう。

というわけで、「DHCオンライン講座」へどうぞ(なんだ、最後は自分の講座の宣伝かよ)。

DHCオンライン講座は現在は受講いただくことはできません。 「英日翻訳 基礎演習講座」と「英日翻訳講座 翻訳ダンベル」のテキストをご覧いただけます)。


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