マーリンアームズ株式会社

DHC翻訳若葉荘「本日の講義」

第24回  翻訳を科学する その13 バランスを科学する(3) (2007年5月配信)

前回のメルマガの最後に簡単にご紹介させていただきましたが、文章に携わる人のための辞書・検索サイト DictJuggler.netをオープンしました。翻訳家の先輩、藤本直氏と山岡洋一氏のお二人が長い年月をかけて作成された『類語玉手箱』と『翻訳訳語辞典』の2種類の辞書を公開しています。公開の経緯については山岡氏のメールマガジン『翻訳通信』の4月号(http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/bn/200704.pdf)で紹介されていますので、興味のある方はお読みください。

いずれの辞典も、ピッタリくる訳語がなかなか思い浮かばないときに皆さんのお役に立つことでしょうが、言葉好きの人ならただ眺めているだけでも面白いこと請け合いです。

英日翻訳の勉強を始めたばかりの方々の中には、類語辞典がなぜ翻訳に役立つのかピンと来ない方もいらっしゃるかもしれません。読者に最終的に読まれるのは訳された日本語ですから、原文の解釈がいくらきちんとしていても、日本語の表現が的はずれでは、読者は本を買ってくれませんし、マニュアルもきちんと読んでもらえません。しっかり原文が読めるようになってきたら、読者を引きつけられる日本語を書く助けとして『類語玉手箱』や『翻訳訳語辞典』を活用しましょう。

ちなみに『類語玉手箱』以外にも、Yahoo!辞書の『必携 類語実用辞典』や、言語工学研究所のサイトの「シソーラス(類語)検索」などが無料で公開されています。色々な言葉で試してみて、好みのものを活用なさるとよいでしょう。「使いやすさは『類語玉手箱』が一番!」だと、私は思っていますけれど……。

さて、今回もバランス、とくに等位接続されたもののバランスについて考えます。まずは、復習も兼ねて前回の講義の補足から始めましょう。最後の方で、昔、数学の時間に習った、数式の「展開」あるいは「括り出し」の考え方が翻訳にも役立つと書きましたが、わかりやすい例がふたつほど見つかったので、ご紹介しておきます。いずれも『Ocean』(Robert Dinwiddie他著)からの引用です。

まず最初の例はとても単純なものです。次の英文(節のタイトル)を訳してみてください。

Wind and wave energy

単純に訳すと次のようになります。

風力および潮力エネルギー

ところが、これだと「風力」と「潮力エネルギー」が並列になっているかのように思ってしまう人も多いのではないかと思います。「Wind and wave energy」の各単語を日本語に対応させて「風力および潮力エネルギー」とすると、ちょっとずれてしまうように思えるのです。

私はこのような場合は、次のように訳すことが多いように思います。

風力エネルギーと潮力エネルギー

前回にも登場した「(a+b)c = ac + bc」という公式を使って「展開」した方が曖昧さがなくなるというわけです。ネイティブスピーカーではないので英語の細かいニュアンスはわかりませんが、どうも、この例のような「形容詞的名詞+等位接続詞+形容詞的名詞+名詞」というパターンは、日本語と英語で微妙な感覚の違いがあるように思えます。もちろん、いつも展開しなければならないということはなくて、たとえば、この例の場合でも(タイトルだと厳しいかもしれませんが)本文中なら「風力および潮力を利用したエネルギー」などとしてもよいでしょう。

もうひとつ、今度は副詞相当語句の並列の例です。

In the twentieth century and today, the industrialization of estuaries has continued, most prominently with the siting of electricity plants.

In the twentieth centuryは前置詞句、todayは名詞ですが、いずれも副詞的な働きをしていて、これが並列に並んでいます。単純に訳すと次のようなところでしょうか。

20世紀において、そして今日、河口域の産業化は続いており、...

しかし、これではとても据わりが悪いように感じてしまいます。日本語だと、「20世紀において」と「今日」を単純に並べるわけにはいきませんね。たとえば次のように、文法的にも同じ構造にすると読みやすくなります(ここでは「河口域の産業化は続いており、」の方は一応この訳でOKという前提で話を進めます)。

20世紀においても、そして今日においても、河口域の産業化は続いており、...

どのような表現でもそうですが、andやorでつながれた等位接続詞の場合はとくに、単純に訳語をあてはめずに、日本語として読んだときに読者がどう解釈するか、どう感じるかを常に意識する必要があります。

さて、ちょっと毛色が変わった例が見つかりましたので、ご紹介しましょう。等位接続詞そのものの訳語が問題になった例です。

Algae
Simple plants and plant-like protists that can photosynthesize.

これをある翻訳者の方は次のように訳してくれました。

藻類
単純な植物および植物に似た原生生物で、光合成を行う。

いかがでしょう、何か変に感じるところはありませんか? andなので「および」と訳すのはもっともなのですが、「および」とすると「単純な植物」であって、なおかつ「植物に似た原生生物」であるものという意味に、一瞬思ってしまった方もいらっしゃるのではないでしょうか。「藻類には光合成を行う単純な植物と、光合成を行う植物に似た原生生物が含まれる」という意味なのですが、上のようにして単純に「および」としてしまうと原文の意図したところと違う意味に取られてしまう可能性があるのです。私はこのandを「あるいは」と訳しました。「単純な植物あるいは植物に似た原生生物で、光合成を行う」とすると原文の意味が簡潔に伝わります。読者に迷いが生じないと思うのです。andであっても「あるいは」と訳してしっくりくる場合があるわけです(逆にorを「および」と訳すとピッタリはまる例もあるのですが、その例は今回は思いつきませんでしたので、またの機会にいたしましょう)。

最後にあげる例は、等位接続詞は出てこないのですが、これまたバランスの問題を含むものです。

Also, breeding programs have saved threatened species ranging from oysters to turtles.
また、繁殖計画によって、カキからウミガメまで、絶滅の危機に直面している種が救われた。

どこか変だと思われた方はいらっしゃいませんか? 私ならこういう文は絶対に書きません。「カキからウミガメまで」ってどういう意味でしょうか? 日本語で「○○から××まで」とするなら○○と××が正反対のものであるとか、何らかの範囲を表しているはずです。たとえば、「子供から大人まで」とか「ミジンコからクジラまで」とか。ところが「カキからウミガメまで」ときても、まったく締まりがありません。「カキ、ウミガメなど、さまざまな種が絶滅の危機から救われた」などとすれば、こうした違和感をなくすことができます。

さて、試しに、類語玉手箱で「バランス」を検索してみたら、次のような見出しが列挙されました。

バランスがとれる、バランスがよい、バランスが保たれている、バランスが取れない、バランスが崩れる、バランスが悪い、バランスさせる、バランスされる、バランスしない、バランスに欠けた、バランスのとれた、バランスのよい、バランスの喪失、バランスの妙、バランスよく、バランスをとる、バランスを保つ、バランスを回復する、バランスを失う、バランスを崩す、バランスを欠いた、バランスを欠く、バランスを考えて、バランス感覚、バランス感覚にすぐれた、バランス食品

それぞれが表現が、微妙に違う印象を我々に与えてくれます。日本語とは、かくも繊細な言葉なのですね。そして、英語のバランス感覚と日本語のバランス感覚の微妙な違いを訳出できなければ一流の翻訳者にはなれないわけです。

バランスから始まる言葉を列挙して「バランスを科学する」の項を終わりとすることにいたしましょう。ハイ、それではまた次回。


前の講義 目次に戻る 次の講義