訳者あとがき
私たちが原著者のスーザン・ワインチェンクさんの本を訳すのは2冊目です。1冊目の『インタフェースデザインの心理学——ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針』は主にコンピュータ関連の技術者を対象に、使いやすいアプリやウェブページを作るためにはどういった点に留意する必要があるのか、最新の心理学研究をもとに解説したものでした。「顔認識専門の脳領域がある」「物はやや上から斜めに見た形で思い浮かべる」「一度に覚えられるのは4つだけ」といったタイトルのついた、長くても数ページのトピック100個から成る本で、「すぐに役に立つ具体的なノウハウ」の詰まった内容ではないのですが、わかりやすく興味深い内容が好評を博し、旬な時期の短いコンピュータ関連書であるにもかかわらず、出版から1年半近く経過した今でも好調に売れ続けています。私たちの訳した50冊近い本の中でもいちばんの売れ行きを記録しそうな勢いです。
ワインチェンクさんは先の本のまえがきで「(本はもちろん)論文を読むのが大好きという変わり者」と自分でも書かれています。有名な「よだれを垂らすパブロフの犬」からfMRI(磁気共鳴機能画像法)など最先端技術を用いた脳科学の研究成果まで、幅広い文献から得た知識を本にまとめ、実践の場で生かせる内容に噛み砕いてわかりやすい言葉で紹介してくださってきました。
この本『説得とヤル気の科学——最新心理学研究が解き明かす「その気にさせる」メカニズム』で、ワインチェンクさんは対象の読者を初めて一般の方々に広げ、「心理学の研究成果を日常生活に応用すること」を提案しています。そして「これは人を説得するため、人にヤル気を出してもらうために利用すると効果的ですよ」と説いています。日常生活のさまざまな場面を取り上げ、中学生ぐらいからお年寄りまで、どなたにもお読みいただける本に仕上がっています。『インタフェースデザインの心理学』と類似する内容も一部にはあるのですが、切り口が大きく異なっていますし、まったく新しい面白い内容もかなり追加されています。前の本をお読みになっていない方はもちろん、お読みいただいた方にも興味をもっていただけるのではないかと思います。たとえば私たちがいちばん面白いと思ったのは「心の錯覚」について取り上げた第8章でした。『インタフェースデザインの心理学』では(100個のうちの)2個のトピックで触れられているだけですが、「ヤラレタ!」と思わされてしまう例題をいくつもあげ、心の錯覚を利用して人を説得する方法(人にモノを買ってもらう方法)を詳しく解説しています。
ところで、ワインチェンクさんは第1章の最後でこんな心配をしています——この本に書かれているテクニックを駆使されると「消費者が本当には必要でないものを買わされるのではないか」、極端なことを言えば「人を騙すためにこの本であげたテクニックが使われてしまうのではないか」と。
「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」「かあさん助けて詐欺」と、その名称や手口は変わっても、人を騙して儲けようとする人はあとを絶ちません。ワインチェンクさんのように心理学の論文を読んでまで新しい手口を研究している犯罪者はいないでしょうが、結果的に人間の心理をうまく突いて人を騙しているのです。たとえば、第4章の主題である、「
しかし、まったく逆の見方もできます。この本は「騙されないための教則本」でもあるのです。「人間は生き残るためにこういった本能を身につけてきた。その本能を利用して騙す奴がいるから、気をつけないといけない」という警告の書でもあるのです。「おお、この手で来たか。次はこういう展開になるのかな」と、冷静に向こうの出方を分析するための手引き書としても使えます。この本をお読みいただいて、企業がどんな心理学的なマーケティング手法を駆使しているのか冷静に分析できる、怪しいストーリーに騙されない、賢い消費者になっていただけばよいと思うのです。
最後になりますが、株式会社オライリー・ジャパンの皆さんには、いつものように気持ちのよい仕事をさせていただきました。特に技術系の本ではないにもかかわらず、この本をラインナップの1冊に加えていただけることに深謝いたします。
この本の企画段階のタイトルは『サイコロジカル・マーケティング』でした。最終的には、より内容に忠実なタイトルに落ち着いたのですが、このタイトルを経由することで「売れたワインチェンクさんの本とは言え、分野が違いすぎてオライリーから出すにはちょっと……」という方々の説得に成功したのかもしれません。
ストラテジー125 人を動かしたいときには、相手とそのスキーマを理解しておく。そうすれば相手の世界観に合わせてストラテジーを調整できる。
2013年12月
マーリンアームズ株式会社 武舎広幸
武舎るみ